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松山地方裁判所宇和島支部 昭和55年(わ)81号 判決 1982年2月22日

主文

被告人らをそれぞれ懲役一年八月に処する。

被告人らに対し、未決勾留日数中各三〇日を、それぞれその刑に算入する。

被告人重松〓に対し、この裁判確定の日から五年間右刑の執行を猶予する。

被告人重松〓から金三〇〇〇万円を追徴する。

訴訟費用は、その二分の一ずつを各被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

第一  被告人中畑義生(以下被告人中畑という)は、昭和五五年四月一三日施行の愛媛県宇和島市長選挙に際し、立候補を決意していたものであるが、自己の当選を得る目的で、いまだ立候補届出前である

一  昭和五四年一二月二七日ころ、同市和霊町一二四七番地三中畑義生後援会事務所において、選挙人である被告人重松〓(以下被告人重松という)に対し、自己のため投票並びに投票取りまとめ等の選挙運動をすることの報酬などとして現金一〇〇〇万円を供与し

二  昭和五五年二月上旬ころ、前同所において、選挙人である被告人重松に対し、前同趣旨のもとに現金一〇〇〇万円を供与し

三  同年三月一九日ころ、前同所において、選挙人である被告人重松に対し、前同趣旨のもとに現金一〇〇〇万円を供与しそれぞれ立候補届出前の選挙運動をし

第二  被告人重松は、前記愛媛県宇和島市長選挙の選挙人であるが、

一  昭和五四年一二月二七日ころ、前記中畑義生後援会事務所において、被告人中畑から、その当選を得る目的で、同人のため投票並びに投票取りまとめ等の選挙運動をすることの報酬などとして供与されるものであることを知りながら、現金一〇〇〇万円の供与を受け

二  昭和五五年二月上旬ころ、前同所において、被告人中畑から、前同趣旨のもとに供与されるものであることを知りながら、現金一〇〇〇万円の供与を受け

三  同年三月一九日ころ、前同所において、被告人中畑から、前同趣旨のもとに供与されるものであることを知りながら、現金一〇〇〇万円の供与を受け

四  被告人中畑が前記愛媛県宇和島市長選挙に立候補をする決意を有することを知つていたが、同人に当選を得させる目的で

1 笹岡勝一と共謀のうえ、いまだ被告人中畑の立候補届出のない昭和五五年二月二八日ころ、前記中畑義生後援会事務所において、選挙人である入江禎治に対し、被告人中畑のため投票並びに投票取りまとめ等の選挙運動をすることの報酬として現金一五万円を供与し

2 笹岡勝一と共謀のうえ、別紙(一)買収事実一覧表記載のとおり、いまだ被告人中畑の立候補届出のない同年一月三〇日ころから同年三月二五日ころまでの間、前後三四回にわたり、前記中畑義生後援会事務所ほか二箇所において、選挙人である入江禎治ほか三〇名に対し、被告人中畑のため投票並びに投票取りまとめ等の選挙運動をすることの報酬として、現金合計二一九万三、〇〇〇円を供与し

3 別紙(二)買収事実一覧表記載のとおり、いまだ被告人中畑の立候補届出のない昭和五四年一二月二八日ころから昭和五五年三月二〇日ころまでの間、前後七回にわたり、前記後援会事務所において、選挙人である末廣喜代美ほか六名に対し、前同趣旨の下に現金合計一八万円を供与し

4 笹岡勝一及び藤中勉と共謀のうえ、別紙(三)買収事実一覧表記載のとおり、いまだ被告人中畑の立候補届出のない昭和五五年二月一五日ころから同年三月二五日ころまでの間、前後二四回にわたり、前記後援会事務所ほか二箇所において、選挙人である下田幾雄ほか二三名に対し、前同趣旨の下に現金合計一三八万二、〇〇〇円を供与し

5 藤中勉と共謀のうえ、別紙(四)買収事実一覧表記載のとおり、いまだ被告人中畑の立候補届出のない同年一月二〇日ころから同年三月一〇日ころまでの間、前後一五回にわたり、前記後援会事務所ほか八箇所において、選挙人である末廣喜代美ほか八名に対し、前同趣旨の下に現金合計三九万円を供与し

6 藤中勉と共謀のうえ、いまだ被告人中畑の立候補届出のない同年一月二三日ころ、同市和霊町一二五〇番地中畑義生方において、選挙人である上田干城に対し、前同趣旨の下に現金九万円を供与し

7 藤中勉及び西岡徳雄と共謀のうえ、別紙(五)買収事実一覧表記載のとおり(但し、同番号2の事実については西岡徳雄と共謀のうえ)、いまだ被告人中畑の立候補届出のない同年二月一五日ころから同年三月二三日ころまでの間、前後二五回にわたり、同市和霊町一二五〇番地一若建設ビル内スナツク喫茶キヤツスルほか二三箇所において、選挙人である坂本マスミほか二四名に対し、前同趣旨の下に現金合計二八万円を供与し

8 笹岡勝一、藤中勉及び上田干城と共謀のうえ、いまだ被告人中畑の立候補届出のない同年三月二五日ころ、前記後援会事務所において、選挙人である増田武憲に対し、前同趣旨の下に現金六万円を供与し

9 笹岡勝一、藤中勉及び上田干城と共謀のうえ、同日ころ同所において、選挙人である中野英敏に対し、前同趣旨の下に現金四〇万円を供与し

10 入口春子と共謀の上、いまだ被告人中畑の立候補届出のない

(一) 同年二月五日ころ、同所において、選挙人である山崎榮に対し、前同趣旨の下に現金一万円を供与し

(二) 同年三月二五日ころ、同所において、選挙人である藤井シゲ子に対し、前同趣旨の下に現金一万円を供与し

11 藤中勉及び末廣喜代美と共謀のうえ、いまだ被告人中畑の立候補届出のない

(一) 同年二月一五日ころ、同市和霊元町四丁目一番一号麻田一女方において、選挙人である同人に対し、前同趣旨の下に現金一万円を供与し

(二) 同年三月一六日ころ、同所において、同人に対し、前同趣旨の下に現金一万二、〇〇〇円を供与し

12 藤中勉、西岡徳雄及び中山久江と共謀のうえ、いまだ被告人中畑の立候補届出のない

(一) 同年二月二〇日ころ、同市和霊元町三丁目二番二〇号石橋光江方において、選挙人である同人に対し、前同趣旨の下に現金一万円を供与し

(二) 同日ころ、同町二丁目二番二七号松本晴美方において、選挙人である同人に対し、前同趣旨の下に現金一万円を供与し

それぞれ立候補届出前の選挙運動をし

たものである。

(証拠の標目)(省略)

(法令の適用)

被告人中畑の判示第一の各所為中、各買収の点はいずれも公職選挙法二二一条一項一号に、各事前運動の点はいずれも同法二三九条一号、一二九条に、被告人重松の判示第二の一ないし三の各所為はいずれも同法二二一条一項四号、一号に、判示第二の四の各所為中、各買収の点はいずれも刑法六〇条、公職選挙法二二一条一項一号に、各事前運動の点はいずれも刑法六〇条、公職選挙法二三九条一号、一二九条にそれぞれ該当するが、判示第一及び判示第二の四の各買収と各事前運動とはそれぞれ一個の行為で二個の罪名に触れる場合であるから、刑法五四条一項前段、一〇条によりそれぞれ一罪として重い各買収の罪の刑で処断することとし、以上の各罪の各所定刑中いずれも懲役刑を選択し、被告人中畑の判示第一及び被告人重松の判示第二の各罪は、それぞれ刑法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により、被告人中畑については判示第一の一の、被告人重松については判示第二の一のそれぞれ犯情の最も重い罪の刑に法定の加重をした各刑期の範囲内で、被告人らをそれぞれ懲役一年八月に処し、同法二一条を適用して被告人らに対し、未決勾留日数中各三〇日をそれぞれその刑に算入することとする。なお、後記情状により、被告人重松に対し、同法二五条一項を適用して、この裁判の確定した日から五年間右の刑の執行を猶予し、同被告人が判示第二の一ないし三の犯行により収受した合計金三〇〇〇万円については、押収してある現金合計二九五万円(昭和五五年押第三六号の5、7、9、11、16、17)がその内の一部であると認められるけれども、判示第二の一ないし三の各罪は併合罪を構成しているところ、その内のどの罪により収受した金員であるか、その特定がなし難いうえ、被告人重松においては判示第二の1の罪により収受した金員を、来村農業協同組合及び九島農業協同組合に自己及び妻重松登美子などの親族名義で一旦預金し、その後これを引き出して使用した事実が存し、この事実が被告人重松の検察官に対する昭和五五年六月四日付供述調書のほか、これに副う関係証拠により認められるところであるから、右押収にかかる現金中に右引き出し後の現金が混入していないとは言えず、結局、被告人重松において収受した現金との間の同一性に疑問が残るところであり、押収にかかる右現金全額につき没収することができないと考えられるので、公職選挙法二二四条後段により右収受金に相当する価額金三〇〇〇万円を被告人重松から追徴することとし、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文により、その二分の一ずつを被告人らの各負担とする。

(弁護人らの主張に対する判断)

(一)  弁護人らは、判示第一、第二の各一ないし三の各罪につき、

「(イ) 被告人ら及び笹岡勝一、上田干城の捜査官に対する各供述調書には任意性・信用性がない。

(ロ) 被告人間に授受された現金は金三〇〇〇万円であり、これは基本的には、山本が市長選挙に出馬するのを断念させるための見せ金であり、第二次的には、中畑後援会活動及び選挙活動の資金として、すなわち公職選挙法に違反しない正当な資金として使用されることを前提に授受されたものであるから、本件については供与・受供与罪は成立せず、被告人両名は無罪である。

(ハ) 仮りに、検察官が主張するように被告人間に授受された金銭に買収金としての趣旨が認められるとしても、それは共謀共同正犯における、共同者間における内部的な金銭の授受であつて、未だ買収罪は成立せず、いずれにしても本件起訴は失当である。

(ニ) また、被告人中畑、同重松間における金銭の授受は、内部的な関係における準備行為の段階を出ないもので、特定候補者の当選を図るため、選挙人に働きかける行為とはみなされないので、選挙運動とはいえず、従つて事前運動罪の成立する余地はないというべきである。」

旨主張するので、以下、これらの主張につき判断すると共に、判示各罪の認定経過を明らかにする。

(二)  被告人らは、その各第一回公判廷において、判示第一、第二の各一ないし三の各罪に相応する公訴事実につき、金員授受の趣旨のみを争い、金員授受の日時・場所及び金額を認めているところであり、右各自白は被告人ら相互の間において補強証拠にもなつているところである。

ところで、第五回公判廷における訴因変更の際の被告人らの供述によると、被告人中畑から被告人重松に対する三回目の授受金額が金一三〇〇万円であるとの変更後の訴因についても特段これを争つていないことが認められるけれども、これを自白として右金額を認定するには、後記のとおりその裏付に乏しい面があり、ちゆうちよされるところである。

従つて、前記自白によつては、被告人中畑から被告人重松に対し、三回にわたり合計金三三〇〇万円位の授受のあつたことが認められるに止まる。

(三)  そして、被告人らのほか笹岡勝一、上田干城ら関係人の検察官に対する各供述調書を始めとする前掲各証拠によると、検察官作成の論告要旨に副う事情、即ち、被告人中畑の立候補声明前後の状況、中畑義生後援会の組織強化の名下に実質的な選挙運動が組織的・計画的になされた状況、右活動の中心になつた笹岡勝一、被告人重松、上田干城、西岡徳雄、藤中勉らの幹部運動員間の役割分担状況、右幹部運動員と被告人中畑との人間関係、右幹部運動員の活動状況、前記合計金三三〇〇万円の使途状況として、判示第二の四の各事実のとおり右笹岡及び被告人重松を中心として、昭和五四年一二月二八日から昭和五五年三月二五日までの間一一五回にわたり合計金五一八万七〇〇〇円を買収金として支出していること、右買収金の授受が被告人中畑の住居に近接した中畑義生後援会事務所を中心として行なわれたことのほか、右金員の保管場所として被告人中畑の寝室の隣室洋間も、被告人重松が冷蔵庫を持ち込んで使用していたことなどの客観的な事情も認められるところである。

そこで、右各事情を総合すると、被告人中畑においては、被告人重松に対し前記金員を供与すると、被告人重松においてこれを保管のうえ、投票依頼などの選挙運動員に対する報酬や下部対策費として適宜の時期に適宜の金額を、同被告人自身の判断ないしは笹岡勝一の指示などによつて、その責任において支出してくれることを期待していたことが認められ、結局、右金員授受の趣旨は、被告人重松が被告人中畑のため投票並びに投票とりまとめ等の選挙運動をすることの報酬などとして供与されたものであること、並びに被告人ら双方において、右趣旨を認識のうえ授受したことを認定することができる。

そして、更に、被告人らの間における前記金員授受前後の状況として、被告人中畑から前記幹部運動員に対する応援依頼及び応援態勢に関する指示があつたことなど、また、右金員授受の具体的状況を認定することができるところである。

(四)  しかしながら、右各供述調書の任意性及び信用性については、弁護人らにおいてこれを否定するところであるので、以下順次検討する。

(イ)  被告人中畑の検察官に対する昭和五五年五月二八日付、同年六月四日付各供述調書の任意性について、弁護人らは、「被告人中畑は、昭和五五年五月一六日逮捕されて以来一貫して、被告人重松への金員交付の有無について詰問され、『重松に出したことにしなければ辻つまが合わぬ』と追及され、当初は四~五〇〇万の法定選挙費用を出したことにすれば、迷惑はかからぬ、と言われたというのである。そこで、それならと考え、五月二三日頃五〇〇万を重松に交付した内容の調書を笹田課長に作成され、これで終りかと考えていると、翌日は『一〇〇〇万に上げて貰わぬと重松の会社はつぶれるかも知れんぞ』と脅され、『認めると今日にでも保釈される』と言うので、やむなく一〇〇〇万にして、交付日を五四年一二月に合わせたのである。すると翌日、茂本管理官は更に三〇〇〇万に増額をせまつたのである。それも武井部長、笹田課長が大洲の『愛宕』の寿司をとり、三人して食事しながら説得してきたのであるが、これを拒否したところ、翌日は、茂本管理官、笹田課長、武井部長が再三集中的に中畑をせめたのである。その内容は、『笹岡が死ぬかも知れぬ危険性のあること、三〇〇〇万を認めれば笹岡を保釈する』と言うので、笹岡の心情を想い三〇〇〇万に妥協したのである。すると更に三三〇〇万に増額せよと言われ、順次増額してくるやり方に不審は感じながらも被告人重松と笹岡の会社と身体を心配してこれに応じ、五五年六月四日付の調書が作られていつたのである。

右の如く、茂本管理官が中心となつて、身柄拘束中の被告人に利益誘導をなし、自白させたものであるが、警察は被告人の自白調書を作成すると、その影響力ある間に直ちに検察官に連絡し、検察官の取調べをさせ検面調書が作成されている。また、茂本管理官は検察官の取調べ前後に被告人と接見して、警察で供述したとおり検察官にも述べるよう圧力をかけたり、その結果を報告させたりしている(第一九回公判、茂本尋問調書一八丁裏参照)。このことは、検面調書が警察の取調べと関係なく作成されるものではなく、実際には密接な関係をもつて作成されていることを証明するものである。このように警察の違法な取調べの影響をうけた、被告人の検面調書は任意性に疑いがあるので、証拠として採用すべきでない。」

旨主張する。

そこで、検討するに、被告人中畑は第一八回公判廷において右主張に副う供述をなしているが、証人茂本香の当公判廷における供述によると、「同人による被告人中畑に対する前記誘導ないし脅迫はなかつた」旨否定するところであり、また、被告人中畑の司法警察員に対する供述調書は、昭和五五年五月一八日付、同月一九日付、同月二六日付、同月三〇日付、同月三一日付、同年六月一日付、同月三日付、同月五日付、同月六日付(二通)、同月一二日付の合計一二通があり、その内、右主張に関連すると思われるものとして、同年五月一九日付で「同年二月上旬ころ被告人重松に対し、現金五〇〇万円位を選挙運動資金として手渡した」旨供述し、同年五月二六日付で「同年一月下旬か二月上旬ころ被告人重松に現金三〇〇〇万円を選挙運動の対策費として手渡した」旨供述し、同月三〇日付で「実は三回に分けて三〇〇〇万円を手渡した」旨供述したうえ、その金種、状況・趣旨などを自白し、更に「逮捕事実について金額の詳細は判らない」旨供述し、同年五月三一日付で「合計金三三〇〇万円で、三回目は金一三〇〇万円位であつた」旨供述して、授受金員の総額及び授受回数・金額について供述が変遷していることが認められる。また右五月二六日付及び同月三〇日付は宇和島警察署で、同月三一日付は大洲警察署で、いずれも司法警察員笹田政夫の作成にかかるものであることが認められる。

次に、被告人中畑の検察官に対する供述調書を検討すると、同年五月二八日付は「同年二月三日から五日ころの間に、被告人重松に対し、金三〇〇〇万円を油賃として渡した」旨供述し、同年六月四日付は「三回にわたり合計金三三〇〇万円位を足代などとして渡した」旨供述していることが認められる。

更に、被告人中畑の第二一回公判廷における供述によると、「同年五月二五日大洲警察署で山田清検察官から買収金の事情について尋問された際には『知らない』旨述べ、翌二六日松山地方検察庁宇和島支部で同検察官から取り調べを受けた際には、『買収金の授受日時・場所については、検察官に述べる前に警察で調べてもらい、次回に自供したい』旨述べて、警察へ帰つたこと、検察庁での取調べ及びその調書には異議のないこと」などが認められる。

そうすると、被告人の第一八回公判廷における供述については、供述の変遷経過を除くと、期日や場所、調書の内容について誤謬が多く、茂本管理官からの誘導状況についても、明確性を欠き、にわかに措信し難い部分があると言わなければならない。しかしながら、供述変遷の原因として捜査官から種々の説得及び誘導的な尋問を受け、被告人中畑において利益・不利益誘導として了解したものがなかつたとは言えず、少くとも司法警察員に対する前記自白調書については、その任意性における右疑問を払拭することができない。しかし、更に、検察官に対する前記自白調書の任意性については、証人茂本香の第一九回公判廷における供述により、同証人が五月二八日、被告人中畑に対し、検察庁でも警察の取調べ結果のとおり言つて来たか質問したことが認められるけれども、この事実のみによつて、警察での取調べ下の影響が検察官の取調べにも影響をもたらしていたと推認することはできず、その他、前記任意性を疑わしめる事情の程度、自白調書の内容、被告人には昭和五五年五月一九日から弁護人が選任されていたこと、などの諸事情を総合すると、被告人中畑の検察官に対する前記自白調書の任意性には疑問がないと認められる。

(ロ)  被告人中畑の検察官に対する供述調書四通の信用性について

弁護人らは「被告人中畑らの間の金員授受は、昭和五四年一二月二七日ころ金一〇〇〇万円、昭和五五年一月下旬ころ金一〇〇〇万円、同年二月下旬ころ金一〇〇〇万円であり、右交付の趣旨は、基本的には山本が市長選挙に出馬するのを阻止するための牽制策としての見せ金であり、第二次的には中畑後援会活動資金と、万一市長選挙に出馬するに至つた場合の選挙活動資金を兼ねた性質のものである。また、右後援会活動は選挙運動とは別個の形で存在した。従つて、これに副う被告人中畑の公判廷における供述は、合理的で信用できるのに反し、被告人の検面調書は捜査官の独断と偏見の下に利益誘導をなし、無理に作成されたため、客観的事実に合致せず、証明力はない。」旨主張する。そこで、検討するに、検察官が被告人中畑に対し利益誘導などの無理な取調べをなしたことを疑わしめるに足りる証拠はなく、検察官に対する供述調書はいずれも具体的で、検察官の容易に知り得ない中畑と幹部運動員との人間関係、相談状況、対立候補との確執状況、資金調達状況、金員授受の状況などについて詳細かつ明確に述べているところであり、十分信用するに足りるものと認められるところ、被告人の公判廷における供述は、前記(イ)の任意性について検討したところで明らかなとおり、時間的な経過については記憶の正確性を失つて来ていると認められるうえ、自己の所為を正当化し、刑責を免れようとして、弁解ないしは美化しているものと言わざるを得ず、到底信用できない。

(ハ)  被告人重松の検察官に対する供述調書(一三通)の任意性について

弁護人らは、「被告人重松の検面調書はいずれも捜査官の誘導による自白調書である。そのうえ、五月三〇日、被告人重松に対し、中畑の五月二八日付検察官面前調書のコピーを河野部長が示し、『検面調書も出来ているから、言いたくなければ言わなくてもよい』と言われ、そこで、重松は『言わなかつたら、どうなるのか』と反問すると、『笹岡も中畑も出られん』と答えたのである。このようにして、被告人重松としてはこのまま否認を続ければ、中畑、笹岡に迷惑がかかるという気持ちから、投げやりな感情で、警察官の誘導に合わせようという気になつたというのである。その段階で五月三〇日付で、三〇〇〇万円を二月三日頃受領したという調書が作られた。ところが、翌三一日河野部長は、『三〇〇〇万の内、二〇〇〇万は中畑の奥さんに返した、という内容の調書に訂正せよ』と誘導するので、被告人重松はやむなくその通りにした。すると再び検察官から異議が出て、三〇〇〇万は受け取つて、返してはいない形に再度訂正するように求められ、これに応じたところ、それでも駄目だ、と言われ、三〇〇〇万を一〇〇〇万宛、三回に分割交付を受けたように修正せしめられた、というのである。それで終りかと思つていると、五五年六月四日付の中畑検面調書をもとに三月一九日の三回目は一三〇〇万であつたように指導され、そのままこれに合わせたという。五五年六月四日付の重松検面調書はなるほどその通りになつている。

右調書に至るまで、警察で三回、検面調書も三回の、各取直しが行われている。五五年六月四日付、中畑検面調書の第七項では、三回目は『現金一〇〇〇万か一三〇〇万位渡しました』と述べており、一三〇〇万と断定している訳ではないが、捜査側は、金額の大きい方に修正して故意に一致させたものである。

以上の如く重松調書は全く捜査側の誘導によるものであつて、任意性は認められない。更に付加すべきは、五月二八日付中畑検面調書をみせたあと茂本管理官は、笹岡をつれて被告人重松の留置場の前に訪れ、笹岡をして『重松よ、ワシは皆言うてしもうた。お前も言うてくれ』と懇願せしめたと言うのである。かくて被告人重松は、硬軟両様の誘導戦術の中で自白調書が作文されたのである。」旨主張する。

そこで、検討するに、弁護人らの右主張に副う被告人重松の第一六回公判廷における供述及び証人玉好清一の当公判廷の供述があるが、一方、被告人重松の捜査官に対する供述調書によると、同被告人は、昭和五五年五月三〇日、司法警察員に対し「中畑から合計金三〇〇〇万円から四〇〇〇万円を金一〇〇〇万円から二〇〇〇万円ずつ渡された」旨供述し、検察官に対し「昭和五四年一二月二七日か二八日ころ金一〇〇〇万円、昭和五五年二月初旬ころ金一〇〇〇万円、同年三月一九日か二〇日ころ金一〇〇〇万円とちよつとを受け取つた」旨供述し、同年六月一日付で右検面と同旨で、「三回目は一三〇〇万円位であつた」旨供述しているところであり、その以前には被告人中畑からの金員授受を否認し、判示第二の四の各事実について自供して来ていた経過が認められる。

そして、証人大澤重雄の証言によると、被告人重松は昭和五五年五月三〇日午前中一回、午後三回の合計四回取調べのため出房していること、笹岡勝一は同月二九日出房していない事実が認められる。

更に、被告人中畑の検察官に対する同年五月二八日付供述調書の内容は前記(イ)記載のとおりであり、かつ、同被告人の司法警察員に対する同月一八日付供述調書は存在しないことが明らかである。

そうすると、弁護人らの前記主張に副う被告人重松及び証人玉好清一の当公判廷における各供述は、いずれも到底信用できないものであることが明らかであり、被告人重松が自白を開始した動機が何であるかは不明であるが、同被告人は同年五月三〇日検察官に対し自発的に自白したものと推認することができ、右自白には任意性があると認めることができる。

また、他の自白調書の任意性についても、疑いをいれるに足りる証拠はない。

(ニ)  被告人重松の検察官に対する供述調書の信用性について

弁護人らは、「被告人重松の右各供述調書は、捜査官の脅迫的・誘導的取調べの下に作成されたものであり、その内容も客観的な事実に符合しないので、信用性はない。」旨主張するので、検討するに、被告人重松に対する取調べにつき、任意性に疑いをいれるべき事情の存しないことは前記認定のとおりであり、その供述調書の内容は、具体的かつ明確で、被告人中畑からの指示状況、金員授受状況、同金員の保管状況、使途状況などについて、いずれも捜査官の容易に知り得ない事情を述べて、秘密性の暴露をなしていると認められ、十分信用できるのに比し、当公判廷における供述は、投げやりで、被告人中畑に対する迎合的な供述に終始し、判示第四の事実については既に詳細を記憶していない部分もあるなど、その供述を信用し難い事情が認められ、到底信用できない。

(ホ)  笹岡勝一の検察官に対する供述調書四通の任意性及び信用性

弁護人らは、「笹岡勝一の検察官に対する昭和五五年五月一五日付供述調書については、次のような違法性がある。即ち、笹岡は、茂本管理官から執拗に『警察は選挙に負けた者に追い打ちをかけるようなことをしない。負けた者を逮捕するようなことは、死人に鞭打つことになるのでそういうことはしない』などと言われて、これを信用し自供した。即ち笹岡の自供は中畑不逮捕と引きかえになされたものであるから、利益誘導によつて得られた供述というほかない。そして、同人が自供し、警察官調書が作成された直後、検察官が宇和島署に出張して、同人の取調べを行い、検面調書が作成されたこと、また検察官の取調べを受ける前、宇和島署の上甲康彦刑事から、『警察の取調べの時言つたことと同じことを述べないとなかなか出られない』と言つて、検察官の取調べに対し、警察で自供したとおり供述するよう圧力をかけられた。

このように笹岡の検面調書は、警察捜査の違法性をそのまま受継いだ状態で作成されたものであるから、任意性に疑いがあり、証拠能力はないというべきである。

仮りに笹岡の検面調書に証拠能力があるとしても、その内容は前述したとおり、誘導行為によつて客観的な事実と異なる供述をしたことが認められ、公判廷における証言の方が、客観的事実に合致し、合理性もあるので、右検面調書には証明力はないというべきである。」

旨主張する。

そこで、検討するに、証人笹岡勝一の第六及び第七回公判廷における供述によると弁護人らの主張に副う事実が認められるけれども、同証人の供述全般において被告人中畑が買収事実について関与していないことを強調し、或いは自ら被告人重松に対し金員支出を指示したことを認めながら、そのための金員が被告人重松の手許に補充されていたか否かの点について確めたことがない旨不合理な供述をしていることなどからすると、全体として信用性が乏しいものと評価せざるを得ない。

更に、証人茂本香及び同上甲康彦の第一二回公判廷における各供述によると、弁護人ら主張の事実はいずれも存在せず、笹岡の健康状態や取調べ状況についても特段の問題がなかつた旨述べているところであり、弁護人らの前記主張は採用できず、笹岡の検察官に対する供述調書には任意性がある。

そして、笹岡の当公判廷における供述が前記のとおり信用性に乏しいのに反し、同人の検察官に対する供述調書は時間的にも事件後近接した時点で作成されたものであるうえ、被告人中畑を中心とした選挙運動態勢についての相談の状況などを具体的に供述して、秘密性を暴露しているものがあり、十分に信用できるものである。

(ヘ)  上田干城の検察官に対する供述調書三通の任意性及び信用性について

弁護人らは、「上田干城の検察官に対する昭和五五年五月一五日付供述調書については、次の違法性がある。即ち、上田干城は昭和五五年五月二日再逮捕された直後、茂本管理官から『西岡や笹岡も中畑との関係を自供している。お前一人頑張つてもどういうもんでもない。笹岡は糞もたれ流しで苦労している。西岡は自供したから出られた。中畑のことをしやべつても逮捕はせん』などと言われ、被告人中畑と共謀して、下部運動員を買収した事実を自供したことが認められる。

このように、上田の自供は、中畑不逮捕と引きかえになされた違法な誘導行為によつて得た供述と言えるから、任意性がなく証拠とすることはできない。

そして、前記上田の検面調書は、警察で同人が自供した直後に作成されている。五月一五日検察官の取調べをうける前、茂本管理官から『これまで取調べをうけたとおり検察庁でも述べないと、お前も笹岡らも出ることはできない』などと言われて、検察官の面前でも自白をするよう強要され、圧力をかけられていることが認められる。

このように、検面調書は警察の違法な取調べの影響のもとに作成されており、任意性に疑いがあるので証拠とすることはできない。

仮りに、上田の検面調書に証拠能力があるとしても、客観的な事実と符合していないので、特信性もないと思料する。同人の公判廷における証言の方が客観的事実と一致し、信用できるものである。」旨主張する。

そこで、検討するに、証人上田干城の第八及び第九回公判廷における供述によると、弁護人らの主張に副う事実が認められるけれども、同証人の右供述についても、同証人が被告人中畑から仕事上の援助を受け、従前の選挙においてもその運動員をしていた立場にあり、被告人中畑の面前で同被告人に不利益な事実を供述し難い関係にあつたこと、証言内容としても殊更被告人中畑が謀議に関与していなかつたことを強調するきらいがあると言わざるを得ない。

そして、証人茂本香及び同武井幸男の第一二回公判廷における各供述によると、「被告人中畑を逮捕しない旨約束したことはなく、上田自身の健康状態は良好であつたこと、検察庁へ行く前に茂本において『正直に話しなさい』と言つたこと」が認められるところである。

そこで、右各供述を比較すると、証人上田干城の弁護人らの主張に副う証言はいずれも信用できず、弁護人らの前記主張は採用できない。

そして、上田干城の検察官に対する各供述調書は、いずれも記憶の鮮明な時期に作成されているうえ、内容も具体的であり、同人の当公判廷における供述に比して信用性が高いと認められる。

(五)  被告人ら及び笹岡勝一並びに上田干城の検察官に対する各供述調書には、同人らの公判廷における供述に比して、信用性が高いことは前記認定のとおりであるところ、これらの供述調書を総合すると、検察官作成の論告要旨一、二、三の1記載の各事情を認めることができるほか、同四の2の(一)及び(二)記載のとおり

(イ)  被告人中畑は昭和五五年二月上旬被告人重松に対し、二回目の現金一〇〇〇万円を供与したこと

(ロ)  被告人中畑が被告人重松に対し、三回目の現金を供与した日は同年三月一九日ころであること

を認めることができる。

しかしながら、右各供述調書によつても、被告人中畑が被告人重松に三回目に渡した金員の金額については、一三〇〇万円位と認定し得るのみで、その金額を確定し得ないところである。

そして、前記(二)記載のとおり、被告人らの第五回公判廷における各供述も具体性に欠け、認定の根拠とし難い面がある。

また、被告人重松の第一八回公判廷の供述によると、被告人重松の金員取扱状況として、領収書の取れた支出分が金六三〇万円、領収書のないものが金五〇〇万円、足代が金七〇〇万円、被告人中畑に返却したのが金八三〇万円、警察から被告人中畑に返されたのが金六一八万円で、合計約金三二七八万円になることが認められ、推認根拠になるかの如くであるが、右各金額も大半曖昧な記憶によるものであり、信用性に乏しい。

ところで、被告人中畑の第一七及び第一八回公判廷における供述によると、「右三回目の金額も金一〇〇〇万円であつた」旨述べているが、これは当初から金三〇〇〇万円以上の用意をしており、これ以上の金員を拠出する予定がなかつたことを主張するために弁解として述べられている面があり、その構成金種などについて具体的な根拠を述べているものでもないので、にわかに措信し難いところである。

しかしながら、結局のところ、被告人中畑の前記弁解を排斥するに足りる証拠がないと言わなければならず、そのうえ、被告人らの検察官に対する各供述調書によつても、三回目の金額が金一〇〇〇万円以上であつたことは明確に認め得るところであるから、三回目に授受された金額は金一〇〇〇万円であると認定するのが相当である。

(六)  弁護人らの前記(一)の(ロ)の主張については、判示第二の四の各事実によると、被告人重松は被告人中畑から金員を受領するや、直ちに順次買収金に費消していたことが明らかであつて、見せ金ないしは正当な後援会活動費などとして使用することに限定していなかつたものと推認することができる。

従つて、弁護人ら主張のように、被告人重松が後援会活動資金などとして一部使用した事実も認められるが、これは情状事実に過ぎず、授受金員全体について買収金の趣旨が及んでいると認められるので、弁護人らの主張は採用できない。

(七)  弁護人らの前記(一)の(ハ)の主張については、被告人らの間の金員授受が交付罪を構成するに過ぎないことを前提とするものであるところ、前掲各証拠によると、右授受により被告人重松において同金員を収受したものと認められるので、被告人らの間の判示第一、判示第二の各一ないし三の罪と判示第二の四の各罪は別罪を構成するものであると思料するのが相当であるから、いずれにしても、弁護人らの右主張は採用しない。

弁護人らは、「被告人らの間の金員授受について、報酬性がない。」旨主張するけれども、報酬性について考察すると、違法な選挙運動に関する費用の支出は、本来自らが負担すべきものであり、他に請求できる性質のものではない。そうすると、違法な選挙運動に要する費用の授与をなすということは、本来選挙運動者が自弁すべき出損を免れ、利益を得るという結果をもたらすことになり、その意味において報酬性を帯びるから、供与罪を構成する。

(八)  弁護人らの前記(一)の(ニ)の主張も、当裁判所の前記認定事実と異なる事実を前提とするものであり、到底採用できない。

(九)  押収してある現金合計金二九五万円の証拠能力について

弁護人らは、「本件捜査の当初になされた中畑方、中畑義生後援会事務所更には、一若建設株式会社に対する選挙告示前の捜索は、その被疑事実との関連において必要性がなく、押収された証拠物について関連性がなく、被告人中畑の憲法上の権利である被選挙権の有効な行使を、不当な政治的意図の下に制圧したものであり、違法であり、右証拠物は違法収集証拠として排除されるべきである。」旨主張する。

そこで検討するに、前掲各証拠によると、中畑方などに対する捜索が昭和五五年三月二六日、市長選の告示前になされたことは認められるが、その被疑事実の内容については証拠がないので、にわかに判断し難いが、弁護人の主張によると、笹岡及び西岡の共謀による買収事案二件を被疑事実としているとしているので、これによつて以下考えることとする。

ところで、判示第二の四の被告人重松と笹岡らの共謀による買収事犯が、昭和五四年一二月二八日から昭和五五年三月二五日までで前後一一五回にわたり合計金五一八万七〇〇〇円に及ぶまで敢行されていたところであり、司法官憲において、その内の発覚分について、その背後関係を捜査し、事案の解明を急ぎ、犯罪の増大を予防すべきは当然であり、その必要性がないとは言えない。

その際押収された現金については、同時に発見されたメモや右現金の入つていた封筒の表書きなどとを照合すると、買収準備金である疑いがあり、前記被疑事実と併わせ、更にこれらの資金調達状況についても出来るだけ捜査しなければ、被疑者らに対する最終処分も決し難いところである。

そうすると、中畑方などに対する強制捜査は、告示前ではあつてもやむを得ないものと言わざるを得ず、また、押収にかかる現金などの証拠物も関連性がないとは言えない。

しかしながら、前記法令の適用において判示したとおり、右押収してある現金が判示第一、第二の各一ないし三の内、どの罪によるものであるかの点については特定し得ないうえ、被告人重松の供述などによる隠匿工作としての預金事実の混入により、収受現金として同一性についても疑問を生じる余地があり、没収すべき金員としては、これを認め難いというに過ぎないものである。

また、右現金のうち、被告人重松方で領置された現金二五〇万円についても、その金種が五〇〇〇円札多数を中心にするものであること、同被告人の検察官に対する供述調書中にも自宅で保管している部分もあることを述べているところであり、同被告人の「自己の本来の金である」旨の供述はにわかに信用できず、その証拠物としての関連性はあるものと認められるが、被告人らの間の三回の授受のうちのどの一部であるかの特定ができないなどの疑問があるに過ぎない。

(量刑事情)

(一)  被告人らの判示第一、第二の各一ないし三の本件各犯行については、その金額の多額であること、候補者自身の積極的な犯行であること、選挙告示の三箇月以前から計画的・組織的になされたことなどの点において、買収事犯中においても特に悪質なものである。そして、右犯行の結果として、被告人重松の判示第二の四の買収事犯が敢行され、その態様として一一五回にわたり合計金五一八万七〇〇〇円が金銭感覚まで麻痺していたかの如くばら撒かれ、悪辣な選挙活動を展関するに至つた。

公明選挙の必要性は今更言うまでもなく、我国存立の基本原理である民主主義・民主政治の根幹であり、両者は表裏一体をなしているものである。そして、公明選挙に反するものの中でも、特に金権選挙の横行は民主政治をゆがめる最大の原因をなすものであり、厳に戒しめるべきところである。そのうえ、公明選挙の叫ばれて久しい今日において、今なおこれ程大規模な買収事犯が敢行されたことは到底許し難いところである。

被告人らの弁解するところによると、対立候補の腐敗した市政を刷新するため立候補するのであり、当選するためには、土地柄もあつて足代ないしは謝礼として現金を供与しなければ運動員が活発に働かず、士気に影響するうえ、人気も出ないので、やむを得ないとするところであり、確かに、受供与者らにおいても極めて安易に受領するか、一応は不必要を口にするが、結局受領のうえ消費してしまう事例が大部分であつて、右弁解にも一応の理屈はあると言える。しかしながら、かくては、選挙の度に悪弊を繰り返すにとどまり、民主政治の理想に対し何らの進歩もないところである。

(二)  被告人中畑の立候補の動機の正当性については、裁判所の関知しないところであり、その目的達成のための手段の違法性のみが問題である。

被告人らは正当な後援会活動費である旨弁解するけれども、その主張の認め難いことは前掲各証拠によつて明らかであるけれども、ポスター、街宣車、拡声機などの購入費用に充当した事実も認められるところであり、全てが買収資金として使われていないことは、せめても被告人らにとつて有利な犯情である。

(三)  以上を要するに、被告人らは公明正大になされるべき選挙運動について、自分らの都合のみを重視して、違法行為に走り、多数の検挙者を出し、市民に苦衷を味わしめ、市政を冒涜するに至つたものであり、到底看過し難い違法性があると言わなければならない。

そして、検察官の論告中に触れられているとおり、上田、藤中、西岡らに対しては執行猶予が付せられたものの、笹岡勝一に対しては本件関連事件により懲役一年八月の実刑が確定するに至つているところである。ところで、同人は被告人中畑の後援会長として、被告人中畑支援の中心をなしていた立場にあつたこと、被告人重松は被告人中畑に恩義があるうえ、同被告人からの依頼を受けて、殆んど笹岡の指示の下に判示第二の四の各犯行を事務的になして来ていた立場であつたことなど被告人重松の犯情として有利に斟酌すべき事情も存するところである。

(四)  次に、被告人らの個別的な事情のうち、特に有利な事情の有無を見るに、

(イ)  被告人中畑は約三〇年以前には、ばくととして多数の前科を重ねていたが、翻意して更生し、一若建設などの会社を経営する一方、県議会議員や地方の役職員を兼ねて地域社会の発展に寄与して来たこと多大であること、既に七三才の老齢に達し、将来、政治家として活動する余地は乏しくなつていること、肋骨々折の後遺症があること、公判廷において一応改悛の情を示していることなどがある。

(ロ)  被告人重松については運送会社の経営者として稼働しているものであり、罰金刑の前科があるのみで、善良な社会人として過して来ていること、右会社の従業員の生活も被告人重松に対する処罰の如何にかかつている面があること、同被告人自身本件により八六日間勾留されたことなどがある。

(五)  そこで、これら諸般の情状を総合勘案すると、被告人中畑に対しては、前記有利な情状を最大限に評価してみても、その犯行の重大性、笹岡勝一との刑の均衡などの事情を捨象することは出来ず、懲役一年八月の実刑はやむを得ないと言うほかはない。一方、被告人重松についてもその犯行の悪質性からすると懲役一年八月はやむを得ないところであるが、前記のとおり笹岡より下位の運動員であることのほか、前記有利な情状を考慮すると、なお右刑の執行を五年間猶予し、更生の機会を与えるのが相当であると判断されるところである。

よつて、主文のとおり判決する。

別紙(一) 買収事実一覧表

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別紙(二) 買収事実一覧表

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別紙(三) 買収事実一覧表

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別紙(四) 買収事実一覧表

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別紙(五) 買収事実一覧表

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